宮嶋加菜子

その年の秋、孫さんはツイてなかった。 10月。銭湯に行こうと狭い路地を歩いていたら、蛇行運転してきた車にぶつかり、病院へ。車は逃げ、治療費を支払う羽目に。退院後、さらにバイトを増やした。 11月。料亭でのバイト中に腹が痛み出した。病院に行く金はない。我慢して働いた。次の日、アパートで動けなくなり、病院に運ばれ、腹膜炎で緊急手術を受けた。 病院食は少なくて、満たされなかった。なにより、異国の地で一人過ごす病室の夜は寂しかった。 そんな時、写真現像店の女性が、温かいうどんの丼を手に来てくれた。 「私にも孫さんと同じくらいの息子がいてね。シルクロードの文化が大好きで、夏休みに敦煌に行きました。中国で息子が困ったとき、親切な中国の人に会えたらいいな。そう思っていたんです」 当時は日本語がうまく話せず、「ありがとう」としか言えなかった。 その後、名古屋の大学院に進学。上海に戻って会社を起こした。 池袋にあった写真現像店は、いまはない。女性の名前は、たしか「木村さん」。でも、自信が持てない。だから、メッセージにはこう書いている。 《○村さん、あの時のうどんの味があったから、日本でも上海でも頑張れました。会って、ちゃんとお礼が言いたいです》